のだめオーケストラ

のだめオーケストラ「のだめオーケストラ」はフジテレビ ドラマ「のだめカンタービレ」に向けて結成された。大人気コミック「のだめカンタービレ」に登場するオーケストラが持つ"若い感性、個性的な音楽性、キャラクター、そして誰よりも音楽を愛する心を有する"という気分を投影し結成されたオーケストラで、実際にドラマ出演・録音などの活動を行い、クラシック音楽のすばらしさを伝えることを目的としている。エピック・レコード内に設置された「のだめオーケストラ事務局」が運営する。オーケストラは、当初、事務局と東京都交響楽団の推薦メンバー70名に加え、「のだめオーケストラ」メンバー募集オーディションで一般応募者の中から160名程度のメンバーでスタートした。以来、300名近い若い音楽家が参加している。今までに東京国際フォーラム ホールA、オーチャードホール、NHKホールなどで公演を行い、いずれも大成功を収めた。
2009年始めより、映画「のだめカンタービレ 最終楽章」の音源レコーディングを開始、映画に登場する多くのシーンの演奏を行なっている。

ラン・ラン/郎朗/Lang Lang

ラン・ラン/郎朗/Lang Langラン・ランの名は中国語で"輝き"を意味する。1982年に中国のシェンヤンに生まれ、3歳の時にピアノを学び始める。5歳の時、初めての発表会後のシェンヤン・ピアノ・コンクールにて第1位を受賞。9歳で北京の中央音楽学院に入学、13歳で第2回チャイコフスキー国際青少年音楽家コンクールで第1位となる。その後フィラデルフィアへ移住し、かのカーティス・インスティテュートでゲイリー・グラフマンの下で学び、2002年に卒業。この間にも、アジアのオーディエンスとの強い繋がりを維持し続けていた。最近では、その傑出した音楽の才に対し、初のレナード・バーンスタイン賞が贈られた。ここ数年間では、有名なインターナショナル・フェスティバルに参加するだけでなく、世界でも第一線のオーケストラや指揮者と、有名なコンサート・ホールで共演している。2008年の北京五輪開会式でのパフォーマンスや、ジャズの巨人ハービー・ハンコックとのツアーなど活躍の幅はどんどん拡がる一方である。最新アルバムは2009年10月28日発売の「チャイコフスキー&ラフマニノフ ピアノ三重奏曲」ドイツ・グラモフォンより。

NAOTO

NAOTO東京芸術大学附属音楽高校、同大学音楽学部器楽科卒業。
第39、41回全日本学生音楽コンクール西日本大会第3位、第42回同コンクール第2位。霧島国際音楽祭奨励賞受賞。

2005年4月6日 EPICレコードより1stAlbum「Sanctuary」でデビュー。
アーティストのレコーディング、ライブサポート、 作編曲、プロデュースなど幅広い方面で活躍。
音楽だけに留まらず「食」へのこだわりを通じて、 ワインのプロデュースを行う。
また、無類の「カレー好き」が講じて、ジュニアカレーマイスターの資格を取得。
さらには、一般社団法人日本スープカレー協会(JSCA)広報宣伝担当理事に就任するなど、マルチな才能を発揮。

2010年4月にデビュー5周年を迎え、9月に5枚目のアルバム「Prism」をリリース。
デビュー5周年と5thアルバムのリリースを記念し、自身最大規模の公演が12月22日(水)東京・JCBホールにて開催。
ますます成熟し続けるNAOTOの音楽世界をご堪能あれ!!

松谷卓

松谷卓1979年、静岡県生まれ。1998年、SME/Robin discsより「Epoch1./Platform」でプロデビュー。メロディーセンス、コンピューターを駆使したアレンジの新しさと創造性が評価され、CM(京セラ、JR東海、ミニストップ、サントリー他)、舞台音楽(天国の本屋他)の仕事依頼が続く。
そしてテレビ番組「大改造!!劇的ビフォーアフター」に作った曲(「匠/TAKUM」)が話題となり、「image3」へ収録される。
追って発売したアルバム「Before After」(EPIC)がヒット。以来、本格派若手アーティストとして注目され、映画/「いま、会いにゆきます」、「七人の弔」、「タッチ」、「県庁の星」、「そのときは彼によろしく」、テレビ/「スーパーJチャンネル」(テレビ朝日)、「ミステリアス・アフリカ」(TBS)、アニメ【「のだめカンタービレ」3シリーズ(シーズン1、巴里編、フィナーレ)】(フジテレビ)、「S〜The Stories」(テレビ朝日)、「二人の食卓」(テレビ朝日系全国ネット)などの作・編曲を手がけるようになる。
また、「live image」にもレギュラーメンバーとして毎年出演し、多くのイベント出演、自己のコンサート活動も展開している。

飯森範親

飯森範親1986年、桐朋学園大学指揮科卒業後、ベルリンへ留学。89年からバイエルン国立歌劇場でW.サヴァリッシュ氏のもと研鑽を積む。94年東京交響楽団の専属指揮者に就任し、続く96年には東京交響楽団創立50周年記念ヨーロッパツアーを指揮、特にミュンヘン公演は南ドイツ新聞で「今後、イイモリの名が世界で注目されるであろう」と絶賛された。05年、第13回「渡辺暁雄音楽基金 音楽賞」を受賞し、国内外の多くのオーケストラとの間に築かれた類稀な信頼関係、信頼を裏付ける着実な活動の輪の広がりが高く評価されている。現在、ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督(GMD)、東京交響楽団正指揮者、山形交響楽団ミュージックアドバイザー兼常任指揮者、いずみシンフォニエッタ大阪常任指揮者、オペラハウス管弦楽団名誉指揮者。2009年始めの、映画「のだめカンタービレ 最終楽章」の音源レコーディングより、のだめオーケストラを指揮している。

梅田俊明

東京に生まれる。5歳よりピアノを始め、井上直幸、新井精氏等に学ぶ。1984年桐朋学園大学音楽学部を卒業。86年同研究科を修了。指揮を小澤征爾、秋山和慶、尾高忠明、コントラバスを小野崎充、ピアノと室内楽を三善晃の各氏に師事する。83、84年には来日中のジャン・フルネ氏にも学んだ。また在学中よりNHK交響楽団においてピアノ、チェレスタ奏者として出演し、同楽団の推薦で86年よりウィーン国立音楽大学指揮科に留学、オトマール・スイトナー氏に師事し、研鑚を積んだ。帰国後、89年12月より92年4月まで大阪センチュリー交響楽団指揮者を務めた。90年4月より仙台フィルハーモニー管弦楽団指揮者に就任。92年4月より96年3月まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団の指揮者の任も果たした。2000年4月より仙台フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任。オーケストラの発展に情熱を注ぎ込み、2006年3月までその任を務めた。国内主要オーケストラとの共演を重ね信頼も厚い。的確な棒さばきと音楽に対する誠実な姿勢でオーケストラからの信頼も厚く、将来を期待されている指揮者の一人。

プラハ放送交響楽団

1926年、チェコスロヴァキア国営放送所属オーケストラとして発足した。名指揮者へルマン・シェルヘンの指揮のもと、33年のプラハ国際現代音楽祭に参加し、一躍注目を集めた。以来チェコスロヴァキアの現代音楽にまでレパートリーを広げ、現在では同国の作曲家のほとんどすべての作品を演奏している。  85年にウラディミール・ヴァーレクが主席指揮者に就任し、現在に至っている。これまでシャルル・ミュンシュ、ジャン・フルネ、ハンス・シュミット=イッセルシュテット、ジャン・マルティノン、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーをはじめとする数多くの名指揮者が指揮台に立っており、プロコフィエフ、レスピーギ、オネゲル、ハチャトゥリアンらの著名な作曲家が自作を指揮している。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、プラハ交響楽団とともにチェコの3大オーケストラのひとつとして高い評価を受けている。

ウラディーミル・ヴァーレク

1935年チェコのノーヴィ・ジチェに生まれる。プラハ音楽アカデミーを卒業後、プラハ放送交響楽団を指揮してデビュー。以来、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、プラハ交響楽団を始めとする国内のオーケストラや、ドヴォルザーク室内管弦楽団を創設、リーダーとして活動する他、西ヨーロッパ諸国、米国、ブラジル、メキシコ、アジア諸国等を広く訪れ、各国でたいへんな絶賛を浴びている。その他モントルー、リンツ、イスタンブール、アテネなどで行われれている音楽祭へも積極的に参加している。 レパートリーは古典から現代まで幅広く、特に現代音楽には意欲的に取り組み、いずれも高い評価を得ている。  96年ゲルト・アルブレヒトの辞任後、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任した。プラハ放送交響楽団、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の両ポストを兼任し、名実共にチェコを代表する巨匠である。

日本フィルハーモニー交響楽団

1956年6月22日創立。楽団創設の中心となった渡邉曉雄が初代常任指揮者に就任。幅広いレパートリーと斬新な演奏スタイルで、ドイツ・オーストリア系を中心としていた当時の楽壇に新風を吹き込み、大きなセンセーションを巻き起こした。その後イゴール・マルケヴィチ、シャルル・ミュンシュなど世界的指揮者が相次いで客演、1964年にはアメリカ・カナダ公演で大成功を収め、創立から10年足らずの間に飛躍的な発展を遂げた。1973年には日本フィルハーモニー協会が発足。"市民とともに歩むオーケストラ"として、「人・音楽・自然」をテーマに、多彩な演奏活動を展開している。現在、東京、横浜、さいたま(大宮)の3都市における定期演奏会をはじめとし年間約160回の公演を行い、シンフォニー・オーケストラとして数多くのレパートリーを手がけている。1962年には世界初のシベリウス交響曲全集(渡邉曉雄指揮)を録音。1998年には譚盾のオペラ「マルコ・ポーロ」の演奏会形式による世界初演を作曲家自身の指揮により行い話題を呼んだ。また、わが国作曲界への連続委嘱として定評のある「日本フィル・シリーズ」は現在までで39作が世界初演されており、演奏の質と企画の両面から聴衆の広い支持を受けている。2000年、2002年、2004年には、ミュージック・ペンクラブ賞日本人アーティスト最優秀コンサート・パフォーマンス賞を受賞した。国外では、これまでに5回のヨーロッパ公演をはじめ、北米、オランダなど計9回の海外公演を行い、音楽を通じての国際交流に大きな役割を果たしている。中でも日本のオーケストラとして初のエストニア公演(2002年)、ハワイ公演(2004年)は現地のマス・メディアにも大きく取りあげられ、注目を集めた。聴衆育成の分野では、1975年より始められたファミリー・コンサートをはじめ、子供のための各種教育プログラムなど、国内オーケストラの中でも極めて充実した活動を行っており、延べ110万人を超える子供にオーケストラ音楽に触れる機会を与えている。さらに地域における音楽振興にも力を注ぎ、1994年には東京都杉並区と友好提携を結び、市民のためのアウトリーチ活動や、さまざまな交流プログラムを実施。また北海道から九州に至る全国各地での広範な公演活動を展開している。これらの実績によって、1996年には文化庁によるアーツプラン21(芸術創造特別支援事業)の初の対象団体として選ばれている。創立45周年を迎えた2001年には、記念事業として6月にシベリウスの交響曲全曲演奏会(ネーメ・ヤルヴィ指揮)を行った。2006年には創立50周年を迎え、第5回目となるヨーロッパ・ツアーも成功裏に終わり、6月からはリニューアル・オープンした杉並公会堂を新たな拠点として、今後の活動が各方面から大きく注目されている。

オフィシャル・ホームペーシ:http://www.japanphil.or.jp

野原みどり

1987年第56回日本音楽コンクール・ピアノ部門第1位、増沢賞・井口賞受賞。1988年NHK「若い芽のコンサート」に出演。これまでに深沢亮子、高良芳枝、ジェルメーヌ・ムニエの各氏に師事。 東京芸術大学を首席で卒業後、1990年パリ、エコール・ノルマルに留学。第42回ブゾーニ国際ピアノコンクールにて、1位なしの3位入賞。併せてリストエチュード賞受賞。1991年ブダペスト・リスト国際ピアノコンクールにて、2位入賞。1992年エコール・ノルマル卒業。第23回ロン=ティボー国際ピアノコンクールにて第1位受賞。この受賞によって一躍注目を集め、パリを始めヨーロッパ各地及び日本国内でコンサート活動を開始。ロリン・マゼール、小澤征爾など世界的指揮者に認められ、1994年は、ロリン・マゼール指揮フィルハーモニア管弦楽団(巨匠マゼールと世界のオーケストラシリーズ)小澤征爾指揮新日本フィルと協演。1995年にはマゼール指揮のピッツバーグ交響楽団に招かれ、プロコフィエフの協奏曲第2番を協演。ピッツバーグ・トリビューン紙面で「まるでプロコフィエフが彼女のためにこの曲を書いたようだ」と絶賛を博した。1997年にもマゼール指揮フィルハーモニア管弦楽団(巨匠マゼールと世界のオーケストラシリーズ)と協演、好評を博している。ベルリン・フィル・ヴィルトゥオーゾ、プラッソン指揮/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の日本ツアーではソリストを務め、アンサンブル・ウィーン=ベルリンの日本ツアーでも共演者に選ばれている。また、国内の主要オーケストラの定期公演にも次々と登場、1998年には高関健指揮大阪センチュリー交響楽団の定期演奏会でラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」と「ピアノ協奏曲」を弾き、好評を博した。さらに日本全国でのリサイタル、NHK「名曲アルバム」「土曜リサイタル」などの放送出演と、着実に活躍の場を広げている。 2001年3月に岩手と東京において、ラヴェルピアノ独奏作品全曲演奏会、また、2002年12月に東京でメシアン「世の終わりのための四重奏曲」を中心とする室内楽演奏会を、2003年10月にはヴィオラの名手ジェラール・コセとのジョイント・リサイタルを行いいずれも高い評価を得た。2004年は、群馬交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団との共演や、各地リサイタル、室内楽など、2005年9月には、神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会でラヴェルの2つの協奏曲演奏を演奏し、研ぎ澄まされたテクニックと音楽性が高く評価された。2006年1月には中国の武漢交響楽団に日本人としてはじめて招かれ、ベートーヴェン「皇帝」を演奏。現地のマスコミにも大きく取り上げられた。
ラヴェルの作品では、アウローラ・クラシカルより「ラヴェル:ピアノ作品全集I, II」をCDリリース。本アルバム収録の「道化師の朝の歌」は、全集T(AUCD-2)に別録音で収録。組曲「鏡」の全曲を始め、ラヴェルの数々の作品を堪能できる。

沼光絵理佳

東京芸術大学音楽学部付属音楽高等学校を経て、東京芸術大学入学。これまでにピアノを池川礼子、武田真理、多美智子、多紗於里の各氏に、室内楽を、故Goldberg山根美代子氏に師事。1996年、ジーナバックアウワー国際コンクール2位受賞(アメリカ・ソルトレイク)、東京・サントリーホールにて受賞者演奏会に出演。1998年、全日本学生音楽コンクール東京大会高校生の部奨励賞。2001年、ピティナ・ピアノコンペティション特級全国大会3位、同年、鹿児島にて「沼光絵理佳と仲間たち」トリオリサイタルの第1回を開催、その後シリーズ化。2004年、ニューヨークにて、アリーシア・デ・ラローチャ女史のレッスンを受け、ラローチャ女史のコンサートのオープニングアクトを務める。2005年、ロシア、サンクトペテルブルグにてコングレスオーケストラと共演。この年、東京・サントリーホールにてリサイタル開催。また、さいたま市文化振興事業団主催、「モーツァルトの生涯」ピアノ・モーツァルト役で出演する(金昌国指揮・アンサンブルオブトーキョーと共演)。大宮市において、Vn.長原幸太、Vc.向井航とトリオリサイタルに出演、この公演もシリーズ化されている。2006年、フジテレビ系ドラマ「のだめカンタービレ」の音楽演奏及び作曲、サウンドトラックCD収録に参加。東京国際フォーラムにて「のだめフェスティバル」出演。クラシック以外にも、国内サーキットで行われるモータースポーツの大会テーマ曲、サーキットでのスターティンググリッドのイメージ曲等作曲の他、ポピュラーアーティストへの楽曲提供、ゲーム音楽等、精力的に活動している。レコーディング・アーティストとして、ピアノの収録も多数行っている。また、芸能人や著名人のピアノの指導も数多い。

上野真

フィラデルフィア・カ−ティス音楽院にて、故ホルヘ・ボレット、ゲイリ−・グラフマン両氏に師事。ザルツブルグ・モ−ツァルテウム音楽院にて、ハンス・ライグラフ氏に師事。 メリ−ランド、ジュネ−ヴ、オルレアンなどの国際コンクールで入賞。国内では、京響、札響、日本フィル、新星日響、大阪シンフォニカー、オ−ケストラ・アンサンブル金沢、東京佼成ウィンドオーケストラなど、海外では、ワシントン・ナショナル響、スイス・ロマンド管、チュ−リヒ室内管、モスクワ放送響などと共演。2004年に、オクタヴィア・レコ−ド/SPEXレ−ベルから、リスト・超絶技巧練習曲全曲などのデビュ−CDをリリ−ス。またこの年から18、19世紀のフォルテピアノを使ったリサイタルを各地で開催。2005年3月、青山財団よりバロックザール賞を、京都市より京都市芸術新人賞を授与される。6月にはモスクワで開催された第1回スヴャトスラフ・リヒテル国際ピアノコンクールで、第2位に入賞。またフルーティストのE.バイノンとのCD録音をリリース(オクタヴィア・レコード/CRYSTONレーベル)。2005年秋から2006年春にかけては、ソロリサイタルがNHK・FMやBS・Hi-VisionやBS2で放送される。2006年10月ソロCD第2作「3つのモダン・タイムズ」(ドビュッシー、バルトーク&ストラヴィンスキー)を発表。2007年秋にはロシア、2008年春には、ロシア、ベラルーシ、ラトヴィア、エストニア、またノルウェーなどでのリサイタル、協奏曲の演奏会が予定されている。現在京都市立芸術大学音楽学部准教授。

オフィシャル・ホームページ:http://www16.ocn.ne.jp/~m_ueno/
リスト「超絶技巧練習曲」全曲は、オクタヴィア・レコードよりCDリリースされている(OVCX-00010)。本アルバムとは別録音で、「マゼッパ」を含む全12曲、他を収録している。

三輪郁

三浦みどり、大島久子の各氏に師事。 桐朋女子高等学校音楽科卒業後、ウィーン国立音楽大学入学。 H.グラーフ、W.ヴァッツィンガー、H.メディモレックの各氏に師事した。 1997年、ウィーン国立音楽大学大学院を満場一致の最優秀で卒業し、併せてオーストリア政府より表彰された。1989年フィナーレ・リグレ市パルマ・ドーロ国際コンクール(イタリア)・ピアノ部門に於いて審査員全員一致で第1位、第1回浜松国際ピアノ・コンクールなどで入賞。ハレ歌劇場管弦楽団、オールボー交響楽団、アンサンブル金沢、東京フィルハーモニー交響楽団、大阪センチュリー交響楽団など国内外のオーケストラと共演の他、ソロ活動も各地で行っている。2003〜2006年には「4254日の奇蹟〜ウィーンのモーツァルト」を5回シリーズで行ない高く評価された。室内楽の共演も多く、ウィーン・フィルの首席奏者をメンバーとする「ウィーン・ゾリステン・トリオ」、ライナー・ホーネック、フォルクハルト・シュトイデ等、またN響メンバー、新日本フィルメンバー、豊嶋泰嗣、漆原朝子をはじめとする国内第一線で活躍するソリストからも厚い信頼を得ている。 2004年には初の書き下ろしエッセイ「やっぱりピアノが好き!」が土曜美術社出版販売より発売。2006年テレビドラマおよび特別番組「のだめカンタービレ」(フジテレビ)ほか、「のだめ」のピアノの音楽監修に携わった。2008年9月には初のソロCD「バルトークピアノ曲選集」(発売元キング・インターナショナル)をリリースが決定している。ソリストとして、室内楽奏者としての両方の資質を兼ね備えたピアニストであり、古典から現代に至る幅広いレパートリーを持ち、その解釈、演奏は高く評価されている。

茂木大輔

ミュンヘン国立音楽大学大学院修了、同大学オーボエ科の講師を経て シュトウットガルト・フィル第1奏者、1990年からN響首席奏者 を歴任。その間、シュトウットガルト・バッハ・コレギウム、ミュンヘ ン・フィル、バイエルン放送響、バンベルク交響楽団など国際的オーケストラに客演し、バーンスタイン、ヨッフム、シュタイン、デユトワ、ヨーヨー・マなど世界的演奏家の薫陶を受ける。
帰国後も多くのユニークなリサイタルを企画し実現するほか多数のCDをリリースし、常に独自の活動が注目を集める。96年から指揮活動に入り、東京三鷹市芸術文化センターで年間3回のシリーズ公演を企画し人気を集め続ける他、日本フィル、東響、九州交響楽団、広島交響楽団、大阪シンフォニカー、セントラル愛知交響楽団、東京混声合唱団などに客演。
指揮を故:岩城宏之、外山雄三の各氏に師事。教会音楽、交響曲の解説演奏会、ジャズピアニスト山下洋輔とのコラボレーションや、作曲自作自演、即興、作家筒井康隆の原作によるオペレッタの初演指揮、テレビ「たけしの誰でもピカソ」凖レギュラー、「のだめカンタービレの音楽会」「第9初演プログラム再現」など、特異にして興味深い活動はますます活発。二ノ宮知子「のだめカンタービレ」ファンとして取材に協力、CX系ドラマ「のだめカンタービレ」においてクラシック音楽監修。執筆でも知られ、すでに10冊を越える著書があり、「オーケストラ楽器別人間学」(新潮文庫)は異例の長期セールスを記録し続けている。最新刊は「くわしっく名曲ガイド」(講談社)。

本CD収録の「モーツァルト:オーボエ四重奏曲ヘ長調K.370(368b)は、フォンテックより発売の、「モーツァルト オーボエと弦楽のための作品集」FOCD3428 に収録。アルバムでは同曲をはじめ、モーツァルトのオーボエ楽曲の数々が楽しめる。

若林顕

東京芸大を経て、ザルツブルク・モーツァルテウム、ベルリン芸術大学院卒業。田村宏、ハンス・ライグラフ各氏に師事。ブゾーニ国際コンクール第2位、エリザベート国際コンクール第2位。以来世界各地で活躍。02年カーネギーホールのリサイタルでニューヨーク・デビューを果たす。正統的で奥深いアプローチに基づいた濃いロマンティシズム溢れる劇的な表現力は、今最も注目を集めている。1992年出光音楽賞、1998年モービル音楽賞奨励賞、2004年ホテルオークラ音楽賞受賞。

東京都交響楽団

東京オリンピックの記念文化事業として、東京都が1965年に財団法人として設立し、常任指揮者にハインツ・ホフマンを迎えてスタート。その後、歴代の音楽監督、森正、渡邉暁雄、若杉弘らのもとで日本を代表するオーケストラに発展。98年第4代音楽監督に就任したガリー・ベルティーニは名実ともに新時代を築いたが、2005年3月惜しくも急逝した。05年創立40周年を迎えたのを機に、ジェイムズ・デプリーストが常任指揮者に就任、話題を集める。首席客演指揮者小泉和裕、名誉指揮者ジャン・フルネ、桂冠指揮者ガリー・ベルティーニ、ソロ・コンサートマスター矢部達哉、コンサートマスター山本友重。年間2シリーズの定期演奏会(東京文化会館とサントリーホール)、プロムナードコンサート、東京芸術劇場シリーズ、都響スペシャルなどの主催公演を中心に、ティーンズたちへのクリニックと合同演奏による「ジョイントコンサート」、年間60回を超える音楽鑑賞教室、ハンディキャップをもつ方々のための「ふれあいコンサート」など、《都民のためのオーケストラ》にふさわしい多彩な活動に積極的に取り組んでいる。91年には、「若杉弘=都響/マーラー・シリーズ」などの意欲的な演奏活動に対し、「京都音楽賞大賞」を受賞。数多くリリースされているCDは、《武満徹作品シリーズ》を始めとする現代日本管弦楽の録音や、若杉弘、ベルティーニによる各《マーラー・シリーズ》の他、人気のゲーム音楽『ドラゴンクエスト』まで多岐にわたる。海外では77年ロシア・東ヨーロッパ、86年ソウル、88年ロンドン・ベルリン・パリなどのヨーロッパ、89年中国、90年フィンランド、91年アメリカ、2002年北京などで公演を行い、《国際都市東京のオーケストラ》として世界的な評価を得ている。また、東京文化会館でのロビーコンサートや、福祉施設での室内楽演奏、小中学校への訪問特別授業「マエストロ・ビジット」など、積極的なアウトリーチ活動に取り組んでいる。

Aura(アウラ)

究極の楽器ともいうべき"声"だけで織りなす、みずみずしくかつ優美な音楽、クラシック・ア・カペラのアウラAuraは2003年7月に結成された、女声5声のクラシック・ア・カペラ・グループ。オーディションで発掘された才能と個性のあるメンバーが生み出すのは、自由な感覚で、新鮮な音楽。レパートリーはクラシック楽曲(宗教曲、歌曲、器楽系曲に詞を引用したもの等)を新たに編曲したものが中心で、(ルネサンス以前の)古楽曲は編曲せずに歌っている。 グループ名のAuraはラテン語で「風、空気、天、日光、明るみetc.」と多くの意味を持つ言葉である。2005年3/23に1stアルバム「アウラ」をリリースし、高く評価された。'06年6/21に2ndアルバム「カネンス」を発売し、好セールスを記録。9/3Hakuju Hallコンサートは大成功を収めた。'07年9/29にはNHK BS-2「服部良一生誕100年 珠玉のメロディ」に出演し、「蘇州夜曲」などを歌い、好評を博した。12/11東京オペラシティ コンサートホールでのスラヴァのコンサートにゲスト出演。12月、ソニーの新製品有機ELテレビのCM曲を歌い、最初は「ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー」、08年2月からは「春 第1楽章『四季』より/ヴィヴァルディ」になり、問い合わせが殺到した。またメジャー・レコード会社のEPICレコードと契約し、'08年2/6発売の「イマージュ7」に「ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー」が収録された。4/2発売の'眠りのためのクラシック'「DORMI」(読売新聞yorimoで募集したコンピレーション)では新作からの「月の光」が1曲目に収録されている。そして4/23にはメジャー・デビュー作となるアルバム「パストラーレ」をリリースし。その充実した内容が大評判となり、ロングセラーへの道を歩み始めている。 5/2〜4世界各国から一流のクラシック演奏家が集まる祭典「ラ・フォル・ジュルネ」に出演し、好評を博した。またライブ・イマージュ東京公演にフロント・アクトとして参加し、聴衆にインパクトを与えた。5/15東北ツアーを皮切りに、7/11東京・日本大学カザルスホール、7/19名古屋宗次ホールなど各地で大成功をおさめた。7/20にはテレビ朝日系「題名のない音楽会」に出演し、大きな反響があった。アウラは今最も注目されるクラシック・ア・カペラ・グループである。

オフィシャル・ホームペーシ:www.aura-official.com

池田昭子

東京芸術大学卒業。卒業時に皇居内桃華楽堂にて御前演奏を行う。広田智之、小島葉子、宮本文昭、フランソワ・ルルーの各氏に師事。第4回津山国際総合音楽祭ダブルリードコンクール、第13回日本管打楽器コンクールオーボエ部門共に第1位。文化庁在外研修員としてミュンヘン、リヒャルト・シュトラウス音楽院に留学。東京交響楽団を経て04年NHK交響楽団に入団。マイスターミュージックよりソロCD『カプリッチオ』をリリース。現在、NHK交響楽団オーボエ奏者、トリオサンクアンシュメンバー。

小山清

1946年、埼玉県生まれ。武蔵野音楽大学、フランス国立パリ音楽院を経て、現在日本フィルハーモニー交響楽団で活動。日本バソンの会会長。1965年武蔵野音楽大学に入学し、ファゴットを山畑馨氏に師事。在学中よりバソンを始める。1969年武蔵野音楽大学卒業。同年、フランス政府給費留学生としてフランス国立パリ音楽院に入学し、バソンをモーリス・アラール氏、室内楽をピエール・ピエルロ氏に師事。1971年バソン並びに室内楽のプルミエプリを獲得。パリ滞在中、シテ・デザール、サル・コルトーに於いてリサイタル。1973年イ・ソリスティ・ヴェネティ(ヴェネチア室内合奏団)にソリストとして入団。1975年カザルス追悼のための、プラド国際フェスティバルのオープニングコンサートで、ヴィヴァルディのバソン協奏曲を同団と共演。1978年ハノーバーに於いて、K・トゥーネマン氏にファゴットを師事。1980年帰国後、日本フィルハーモニー交響楽団に入団。1995年日本バソンの会(仏名:Les Amis du Basson Francais au Pays du Soleil Levant)を設立。2006年にはシンフォニエッタ静岡「バソン・スーパーソリスト」に就任している。